田中はゆるくいきたい

クラナドのゲーム版とアニメ版の違いから見る映像の難しさ

カルチャー

最近、クラナドのゲーム版とアニメ版を一気に見返したので感想をまとめたいと思った。昔から僕は原作とアニメを比較するということを結構やっている。面白かったらなんで面白いんだろうと思えるし、面白くなかったらなんで面白くないんだろうと自分で見つけることが楽しい。そんなことをしているとあることに気づいた。それは、良い原作をアニメにしても良いものになるわけではないということだ。今回はこの話を中心にしたい。

アニメ版の序盤はハーレム風になっていた

アニメ版1期のクラナドは話を進めていくと画面上に出てくる人間の数が増えてくる。ハーレム系のアニメを見るのが嫌な人間にとってはこれは結構辛かった。具体的に何が辛いかと言うと

画面に出るキャラクターの数が増える=画面に出ているということはセリフがあるandセリフを順番に喋ることになる=会話のテンポが悪くなる=進行が遅く感じる

これが辛い。話の本質はここではない、というところに時間が割かれてしまう。しかし、進行上やむを得ない部分だとも思う。アニメでは各々のルートをじっくりやっている時間はない。いろんな人間の出番を1つの画面に出してあげて個別の話を消化しつつ、渚のルートにつなげる。それが進行として丸い。これが17話くらいまで続く。18話でめでたくそれに一石を投じるような出来事が起こるのだがそれは後で話す。

原作をやっているとわかるが、とにかく渚の話を進めないといけない。そして他の人間のルートも押さえておかないとアフターストーリーまでつながらないことが目に見えている。ここは制作側の意図が見えるので仕方ない。ばっさりとキャラの話を切るわけにもいかない。

ゲームとは違う良いところ

最初に言った、良いゲームをそのまま映像化しても良いアニメにはならないという話をする。

ノベルゲームや小説は主人公や登場人物の心情を文章で表すことができる。ある行動を起こす前に葛藤を心理描写として描くことができるしそれを読者の視点から見ることができる。だから感情の変化や行動が理解できる。この部分がないとなぜその行動をしたのか、というのが分かりにくくなり感情移入や納得ができない。

アニメの難しいところはそこを映像で見せないといけないところだと思う。すべてセリフで表現してもいいが感情の変化がすべてセリフで表現されてしまうとドラマCDに近くなってしまう。例えば、「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」のような独白や思考の変化を細やかにやっている作品はアニメするときに辛い。そこを映像表現でどうするのか、というのは原作とアニメを見比べる人間にとってかなり見物だ。

クラナドではその見るべきところが演出と感情表現にあったと思っている。感情表現については1期15話の合唱部の話が印象的だった。そこで春原が「そんな程度のハンデで贔屓されたいと言ってるのは卑怯者だ」と叫ぶシーンがある。春原の過去と今の状況を重ねて思い返して感情が高ぶったのだろう。それまで原作の当たり障りのないところをなぞっていたシナリオを見せられて眠くなりかけていた眼が覚めた。

18話。テニスをする智代。杏や椋、ことみが見守る前で渚と楽しそうに応援する岡崎。これが決定的な瞬間で見ていてとてもよかった。これがみんな仲良しこよしのハーレム風の画面進行が終わりを告げる合図だった。そのあと藤林姉妹の涙も素晴らしい。

小言を言うとできれば岡崎はもうちょっと他人に八つ当たりするようなダークな面を持ってほしかったし、杏は妹よりも岡崎のことが好きだという気持ちが本編で出たらよかったんじゃないかと言う気もする。

演出の話。結構、僕が好みの画面遷移をしてた。例えば15話の幻想世界でロボットと少女が話しているシーン。光が周りに集まりホワイトアウトして、白い一面の雪が映像として始まるオープニングにつなげた。22話の渚の劇。自分の記憶から幻想世界の劇をやっていく。そのうち幻想世界と劇の映像を交互に進行していく。この物語の根幹を分かりやすく伝えるのと同時に映像として美しいものにしている。これを見せられると映像で見てよかったな、アニメになってよかったなって思える。

全てはアフターの17話以降のためにある

今までは1期の話をした。しかし、アニメ版のクラナドの良いところはアフターストーリーの17話以降に集中している。アニメ版だけ見たら今まで積み上げてきたものはここのためにあると思ってもらっても良いと思う。それぐらい素晴らしい出来。

17話。渚が死ぬ。渚と出会わなければよかったと思った。この街が嫌いだしすべてが間違いだと思った。汐と旅行に行く。18話。父親も苦労をして岡崎を育てたことを知る。自分と重ねる。汐が初めて岡崎にもらったもの。渚を思い出す。19話。汐と暮らす。父親と話す。20話。もう汐ちゃんの匂いまで記憶したので。病院の場所=秋生の遊び場所=渚が街に救われた場所。21話。汐の具合が悪くなる。開発される街。22話。渚と出会ってよかったと思った。人の思いを集めて渚が死ぬのを回避する。風子が木の下で汐を見つける。

この流れがきれいすぎる。

開発される街と渚の関係性や父親との確執もすべて伏線としてばら撒いてここで過不足なくアニメで再現するのは大変苦労したことだろう。ここまでくると演出・感情表現はどれも素晴らしい。特に19話の父親と別れるときの話。岡崎が父親の健康の心配をするシーンと昔の父親との会話が交互に流れるシーン。あれもよかった。風子が匂いを記憶したと言った通り木の下で汐を見つけるのはさすがとしか言いようがない。その後の番外編のタイトル画面では木の下に成長した汐をちゃんと描写している。

なんかここまでくると他人の評価なんてどうでもよくなってくる。それぐらい凄いことをアフターストーリーでやったのだ。いいものを見た、その満足感だけで生きていける。出崎統の劇場版クラナドさえどうでもよくなってくる。あれも最高でいいよもう。