全てを疑うデカルトと哲学原理

2021年9月20日

哲学の本は難しいので嫌いで読みたくはないが高校生の頃から読んでいる習慣なので仕方なく続けている。今回はデカルトの哲学原理を読んだ。デカルトともなるとすべてのものを疑いにかけるという世界の見方をしているので大変だ。

全てを疑った上での神の存在証明

突然だが、あなたは神は存在すると考えるだろうか。生まれてから誰しも1回は考えると思われるこの問題だが、この年代の哲学者は神の存在理由を試行錯誤して熱心に証明しようとしていた。デカルトもその一人だ。デカルトの神の存在証明は以下のように展開している。

精神の内には事物の観念や共通概念があるが、自分の起源を知らない限り確実な知識を持ちえない。精神は最高に完全な存在者の観念を持っているが、その観念には必然的な存在が含まれる。したがって神は存在する。

私は自分で自分の存在を保存する力をもちえない。もしその力をもつとするなら、私自身が完全者(神)になるであろう。しかるに不完全者は完全者の原因になりえず、私は他のより完全なものによって存在する。ゆえに神は存在する。

当然反論もある。「神の観念を経験的に得るのであり、必ずしもみんなが一律に神の観念を持っているわけではない」。ライプニッツも「神の観念の内在がいつも意識されているわけではないのでこの証明は、神の観念が我々の内にあることを無条件に認め、その観念を持つ我々が存在することから神が存在するという結論している点で欠陥がある」としている

ただ、日本人は幸運を祈るときに神社などで「神様、○○してください」と言ったり不幸なことが起こると心の中で神様に祈ったりする。こういうのは教育されていないのにも関わらず自然に行っている。このことからどちらかというと反論者よりデカルト寄りの考えが理解しやすそうではある。

さて、デカルトはほぼすべてのものを疑いにかかった。感覚、物質、ひいては数学の理論さえ疑った。逆に疑えない存在は完全なる存在者、つまり神が想像したと考えた。有名な「われ思う、ゆえに我あり」はこの論理展開の途中で行きついたものだ。自分たちが何かを疑っている間、何かを疑っているという事実自体は疑われることがない。つまり人間自体を疑いにかけることは出来ない、確実な存在である。そして、デカルト曰く「自分で自分の存在を保存する力を持ちえない」ので人間は確実な存在ではあるがそれ以上に完全なる存在者である神によって作られて保存されている、という主張なのだ。

ちなみに他の哲学者がしていない数学への懐疑をしているデカルトであるが、解説によると例えば2+2=4が真であるのは神の意志によってそうなっているのであってそれが真であるから神がそのように定めたわけではない、という一節さえある。すべてのものを疑う意識は見習うべきところがあると思うが自明な数学の式まで疑うデカルトはユニークである。

幼児期の先入見を捨てろと言うデカルト

懐疑の目が消えてしまうのが幼児期の先入見が消えないためだとデカルトは言う。ここらへんは本当にややこしい話なので割愛したいが物質の本質の話に入る。

ここでは物質は第一性質(大きさ、形、運動)と第二性質(色、痛み、味)があるとしている。本質は第一性質で第二性質は主観でしかない。そのうえで幼少期の身体知覚でのみ物質を見るようになりその見方は科学的見地に至ってないとした。これは幼児期から成長するにつれて身体で感じられる刺激の大小で物質を見るようになるためであり、これは成人したとしても幼年期の記憶が抜かれることはないため誤り続ける、という考えだ。

こういった幼児期からの間違った物質の見方を捨てるためにデカルトが行ったことがすべてを疑うこと、つまり「懐疑」である。数学の公式さえ疑うのはこの先入見を捨て、確実なものを見ようとしたためであると思われる。

またその先の間違った言葉と本質の結びつけについても言及がある。いわゆる固定概念と言葉を安易に結び付けて本質を捉えそこなう。例として鬼畜米英やjapなどの戦時中の言葉が解説されている。何が言いたいかと言うと言葉自体が固定概念と結びついているが必ずしも事物と対応していない。(元は家畜のアメリカイギリス?japaneseの略語?だがこの言葉自体が蔑称の概念である。)

こういったものは現代社会でも多々見られるし、言葉だけで安易に正しい間違っている良い悪いを決めつけたがる現代の人間には耳が痛い話ではある。

※例えば、よくTwitterなどではUberEatsの配達員への悪口がよく耳に入ってくる。その悪口の大半は不潔、交通マナーを守らないなどだ。現代インターネットでは「UberEatsの配達員=不潔」などの本来の意味とは離れた概念がありそうである。

哲学全般に言えることだがこんな感じで大変勉強になる内容が多い。哲学の本を読むたびに、これどこかで聞いたような話だなあとか、今も昔も人間の問題なんて変わってないのかもしれんと思ってしまう。