田中はゆるくいきたい

奇書という評価だけでは終わらないドグラマグラ

人は純粋な興味だけで異常な行動をする

若林も正木も科学者として大学教授として天職に就いていると思う。分野は違えど二人の興味が一致したのが精神疾患、精神科学分野の心理遺伝だ。両人とも大学で主席を争うほどの勉学に励んでいたが後に主人公も巻き込んだ大胆な実験に舞台を移していく。

本作を通して「科学の分野は発達して著しいと言われるがこと精神疾患に関してそんなに発達してないのではないか」と言われているように思う。それは昔から精神疾患が「神の心がうつった」、「生霊や死霊の仕業なんだ」と言われる所以である。少し話がずれるかもしれないが今のインターネット上で陰謀論やデマにはまる人が多いところを見るとこれは素直に頷ける。その人によってはそれが真実なのかもしれないし。

中心の話題は精神疾患の話だった。しかし、博士たちの好奇心や追及する心が方向性が悪かったのだろうか、解放治療場と称して精神疾患の人間を一か所に集めたり、論文として「胎児の夢」を提出したりする。やっていることは無茶苦茶なんだけどでもその行動理由というのは純粋な興味だと思える。精神疾患の原因や実験の有意義さを宗教や歴史、唯物論などを引き合いに出して正当化しようとする。

博士の書いた「脳髄はものを考えるところにあらず」という論文の中でも哲学の考えがちりばめられている。ここでは唯物論のいわゆる自然や物質を世界の根源原理とする思想が蔓延っていると思想的には批判している。これに対して若林や正木は精神疾患や心理遺伝の面から心や精神の追及する唯心論(観念論)の側だということができる。

言うほど奇書でもなかった

この本のレビューを見たら「最後まで見たら気が狂う」「奇書」などと表現している方もおられるが、あまりそうは思えなかった。こういったレビューが多いのは腐った死体を絵として残したり、死体解剖の場面が猟奇的に生々しく表現しているところがどうしても印象として残ってしまうからだと感じる。ただそこは表現として登場人物の思想などを描くための部分であり、この本の言いたい部分ではない。刺激的な表現や気持ち悪い部分だけを読んで脊髄反射な気持ちをぶちまけるようなレビューをしても得るものはないだろう。最後のシーンで色々な人間の顔が恨むように浮かんでくるシーンや「最初からこの話は夢だったのではないだろうか」と思うシーンなどは文学表現として見るに堪えると感じる。

面白い表現もたくさんあるし昔の本なので今では遠回しの表現をするところもストレートに書かれており、時代錯誤感はあると思う。少なくとも自分が読んだ本のバラエティを多くするという意味では読んでよかった。余談だが古いしゃべり方や文体で挫折する人間は多いので早めに読んだほうがいい。年を取ってから読むときつい。もう少し現代っとぽくリメイクすればもっと売れそう。