他人や社会の基準とは別に、自分の中にゲームを作ることの大切さ

哲学の勉強をしていると言うと「哲学の意味・意義って何?」というシンプルな質問をかなりの割合でされることがある。高校から哲学の本を読んでいるにも関わらず、僕にとってはかなりの難問だ。哲学がやっていることは、傍から見ると分かりにくいし、ややこしい場合分け、定義づけなどをして問題を複雑化しているようにも思える。しかし、それをクリアにしてくれるような「人生はゲームなのだろうか」という本を最近読んだので紹介したい。

物事の構造、パターン、共通点を探す

例えば「人生はゲームである」という主張をしたとする。それに対して感情的に「人生はゲームのように甘っちょろいものではない!」と怒ることも可能なわけだ。しかし、哲学ではこのような脊髄反射的で感情的で無価値な返答はしないはずだ。哲学で何をするかと言えば精査であり「人生」と「ゲーム」の共通点や構造を吟味し、まとめ上げる。そこからまた別のことを言えるのであればそこに言及したり、別のジャンルにも応用したりすることが可能だと考える。

多少抽象的なので、具体的に言うと「人生」と「ゲーム」にはルールと目標があるだろうか?と考える。確かに「ゲーム」には目標とルールがありそうだ。しかし、「人生」は?ルールは存在しそうだが、人生に目標はあるのだろうか。個々人の人生に目標があったとしても後天的なものではないだろうか?人類共通の目標というのは生まれ落ちた時からあるわけではない。だとすると「ゲームには目標があるが人生には目標が存在しないので人生=ゲームではない」と言える。

人生において自分のゲームを作りそのルールで生きる

この本で心に響いて納得感のある文章があった。それは「自分だけのゲームを作る」というところだった。社会的な価値とか国によって変わる価値観を元に生きるのではなくて「自分にとっての目標とルールに基づいたゲーム」を編み出して人生を送れば良い。そうすれば他人と何かで競争することもする必要が無いし、社会の価値基準のみで自分や他人を評価することも意味がなくなる。

昔は宗教が大きな力を持っていたから神やその周辺のシステムに従っていればそれが個人の幸せにつながっていたのだろう。現在の社会では神やその周辺のシステムが経済、お金、仕事などに変換されたと感じている。宗教ではもはや現代の状況に説明がつかなかったり、個人が信頼を寄せることの出来る絶対的価値が維持できなくなっている。だからすべてのものに価値を付けられるお金や経済を神格化するのだ。

しかし、宗教もお金も目的ではなく、個人が幸せになるための手段だと僕は考える。宗教やお金という手段で、自分がどう幸せに生きるかが目的として達成されなければ意味はない。そういう意味でそれらに左右されない「自分のゲームを作る」というのは大事なのだ。