人間のためにではなく自然のために、マルクスは社会主義を考えたのだろうか

最近、斎藤幸平の「人新世の資本論」をはじめとしてマルクスが流行りつつある。ほとんどの人間からするとマルクスは社会主義という危険な思想を作った人、という印象なのにも関わらず面白い現象だ。まさか、現代の人々は社会主義を求めているのだろうか?それとも環境問題を解決する手立てとしてマルクスを引用しているだけなのだろうか?この理由をあえて「人新生の資本論」ではなく前作ともいえる「大洪水の前に マルクスと惑星の物質代謝」を読んでヒントを得たい。

経済成長せずとも資本主義は止まらない

資本主義はここまで多くの人間を便利に、幸福に、自由にしてきた。しかし、その偉大なる発明もボロが出てきているように思える。民主主義と資本主義がこれまでうまくいっていたのは事実だが、ここ十年で先進国を中心に資本主義の優先的課題ともいえる成長にブレーキがかかっているのも事実だ。

そのうえで日本をはじめとした成長に限界を感じている先進国はどう生きていけばいいのか、を考えるフェイズになっていると思う。アメリカのように多様な人種と才能に対して自由な教育とポジションを与えるのか、中国のように独裁のような形で教育や経済を引っ張っていくのか。

マルクスを見ると、この経済中心の考えに対して違う方向から答えを提示しているように思える。段々と読み進めていくうちに特定の地位や職種の人間だけが幸せになるのではなくて、すべての人間を幸せにしようとしたのではないか、と感じられる。

その証拠として、共に思想を深めたエンゲルスの定義する「自由」とマルクスの「自由」は違うことがあげられる。前者、つまりエンゲルスの「自由」は自然の支配が人間にとっての自由である。後者、つまりマルクスの考えは自然を人間側が制御・搾取することなく、人間同士の関わり合いを深めることを自由とした。自然や特定の人間を搾取してまで発展する経済はもう限界なのではないかとする思想の深さはこの時代でも通用するものがある。

環境に配慮さえすればいい、という罠

よくある環境問題自体に反論する話として、人間の技術の発達によって気候変動や自然の脅威から人間の命を救うことができるのだ、これまでもそうだったじゃないか、という論調がある。しかし、その意見自体が問題のすり替えである。なぜならば、その答えの裏を返せば、特定の人間の命さえ救うことができればどんな労働も自然の搾取も認める、という論さえまかり通るからだ。特定の搾取された人というのは炭鉱で働いていて重労働していた人や海水面の上昇で自分の国が無くなってしまう人のことだ。

また、技術や産業の発達によって環境問題は相対的に小さな問題になるかもしれないが、だからといって人間は自然を支配してもいいわけではない、ということを忘れている。日本はまだ裕福な国だ。しかし、いったん転落してしまうと自分たちが労働力として搾取される側の発展途上国になったり、外部の人間によって自然や環境がその地域の人間の考えとは違う方向に切り崩されていく。その立場に立ったときに同じことが言える自信があるのだろうか。

資本主義をカスタマイズする

そもそも、僕は資本主義のためや産業発展のために特定の国の人間や自然が搾取されていいとは思えない。きれいごとに聞こえるかもしれないが、本当に資本主義が偉大で、資本が万能なのであるならば全員を幸せにできるはずなのだ。それができないのであれば多少の修正をするしかない。多少の修正というのは、社会主義の優れた一面をもって資本主義の一部を変えないといけない、ということだ。

現に日本が優れていると言われている皆保険制度は、はっきり言って社会主義的だ。確かに保険料は収入によって変わるが、保険加入者全員に対して同じ保険を導入して医療費は3割という制度なのにも関わらずうまくいっている。これから議論の的になるであろう、ベーシックインカムだってかなり社会主義的だ。

ここまで聞いても環境の話と社会主義が結びつかないとも思えるかもしれない。はっきりと言うと僕は、ベーシックインカムや社会主義的政策をすすめていき、人間が自然や他の人間を搾取しながら労働しなくてもいいような社会を作ることができるのではないか、と思っているのだ。自由のための資本主義は自分がしたくない労働をしないと生きていけないという不自由に晒されている。これは資本主義自体の矛盾なのではないか、と考えている。

年金、皆保険制度、ベーシックインカムなど社会主義的な政策を持ち寄って資本主義をカスタマイズしないといけない時点で、現代の国の運営にはすべての物事に資本主義を当てはめてもうまくはいかないことを証明していると思う。日本は特に、それを自分たちで決めないといけない難しいフェイズに入っている。これからの世代は失われた20年、30年を作ってきた大人たちみたいに、今のままがいいと赤子のように泣きわめいても何も解決しないのだ。