「退職したら好きなことをしよう」がなぜ間違っているか?人生の短さについて/セネカの感想

2021年8月17日

セネカの人生の短さについてという本を読んだ

セネカは古代ローマ人で王様に助言をする役目をしていたらしい。しかし、そういう優秀な人間でさえ持病から自殺を考えたり政争に巻き込まれたりして島流しされてしまうエピソードがある。自分とは違う時代、違う国に生きている人生で思ったことが「人生の短さについて」なんておもしろい。

思えば自分も28歳になろうとしてるんだけどあっという間だったなと感じる。別にそれが悲しいわけでもなく嬉しいわけでもないけど事実として時間は過ぎ去っていくのだなって改めて感じる。これからもちょっと良いことがあったり悪いことがあったりして時間は過ぎていくのだろう。僕は人生のそういうところが好きだったりする。

この本は岩波文庫で「人生の短さについて」以外にも「心の平穏について」「幸福な人生について」の二編も収録されている。言いたいことの例えとか言い回しが難しいがそこを除けば哲学とか知らないよって言う人にもお勧めできる本だ。

人間はいつかやろうと思ったことをしないし計画通りにいかない

知ってると思うけど人間はやろうと思ったことをできない。

「何歳になったら仕事を引退して好きなことをやるぞ!」とか「大人になったら好きなところに旅行する!」とか。できる人もいると思うがほとんどの人は目標を持った時から若さや現状が変化する。目標の歳や社会人になってからお金や時間が無かったり病気になったりして目標だったことができないなんてザラにある。

当たり前の話だがそもそも人間なんて何歳まで生きていけるか分からないし健康である保証もないのだ。

私事で恐縮だが「生活が落ち着いたら家族で一緒に旅行に行こうね」と言ってた僕の母親ですらこの前、病気になって体を壊した。このことから思うんだけどやりたいことや目標は壮大な計画なんて立てないでちょっとずつ若いうちにやればいいのだ。〇〇したら~なんて条件付きを出さないでやればいいんだよね。明日死ぬ可能性だってほんのわずかだが存在するし。

以前からやりたかったことをやったけどそんなに面白くなかった、というのもまた一つの感想としてあるかもしれないし、それは全然悪くない。そうなったらまた新しい暇つぶしとか目標とか持てばいい。ただこう言ったことでさえほとんどの人間(自分も含む)は見落として生きてしまう。

何がこうするんだろうか、なぜこんな当たり前で誰でも導けるようなことが隠れてしまうんだろうか。

その上手くいかなさをセネカ曰く誰かのために時間を使っているからだと看破した。誰彼かまわず多忙な人はみじめである。自分の用事でもないのに苦労をし、他人の眠りに合わせて寝て、他人の歩調に合わせて歩き他人に影響を受けて誰かを愛し誰かを憎む、人生には実りもなく楽しみもなく心の進歩もない。と、こんな風に取り付く島もない。

お前の心が弱いのが悪い

人は良くも悪くも他人から影響を受けている。それが衝撃的な話や感情を揺さぶるような情報だとなおさらだ。今だったら投資で1億儲けましたとか副業で給料より収入があります、みたいな記事とかニュースにはみんなが飛びつく。僕もそんな感じで特定のVtuberが面白いですと言われれば見るしウマ娘が流行っていますと言われればゲームをする。面白いことにセネカの弟子セレヌスも周りの人間に影響され、質素な生活より豪華な生活のほうが良いのではないかと相談している。

セネカは何を行うのが最善であって、何が多く世の中で行われているかは重要ではないとしている。確かに財やサービスを消費されたり、いたるところから情報が流れてくる現代でもそれは言える。もう止まることのできない状態までに財やサービス、情報をいかに消費させるかを中心に世界が回ってしまっている。この状態で善く生きると言われても分からないだろうと思われる。

立ち止まって考える時間が無い人間はそれでいいのかもしれない。しかし僕は欲を中心に世界を構成して回していって諸問題が解決すれば良いと思っているのだがそれで今の世界の問題は解決しないような気がしている。欲を抑えることのできなかった人間が悪いのだろうか。しかし欲がないと資本主義は回らないし繁栄はしない。ただセネカは「環境の悪さを嘆くのではなく我々が悪いのだ」と言っている。

哲学者は偉そうでムカつく

「あーだこーだ言われるのは説教臭くてムカつく」と言われることがセネカにもあるらしい。セネカは欲を抑えることや節制を人に話していたのだが自分自身は財産を持っていたし、それなりに食事は豪華であり、仕えている奴隷も所持していた。これは矛盾ではないのか。

これに対しセネカは財産を持つなと言ってるわけではなくそれに心を動かされるなと言っている。私は賢者ではないし賢者にもなれない。ただ悪い人間よりは善く生きたいと願っている。また、有益な研究とはたとえ成果が出なくても研究してること自体が賞賛に値すると言っている。善く生きる、という研究なのであってそれ自体(賢者)にはまだまだ至ることができない、ということなのだろう。

ビールを飲みながらふーん、と読んでいたが面白い本だった。現代の問題とか人間の悩みが紀元前から存在していることを知ることができるのは哲学書のいい部分である。過去を思い出し現在をゆっくりと過ごして未来を恐れずに生きていきたいな、と思った。