プラトン 饗宴を読んだ感想

プラトンの饗宴とそのプロローグ

今回はソクラテスの弁明、プロタゴラスに続き、饗宴の感想を書きたい。饗宴とは共に酒を飲むという意味で雑にいうと現代でいう宴会のことだ。このプラトンの饗宴では、集まったメンバーが前日にひどい飲み方をしていてあまり酒を飲む気にはなれなかったそうだ。そこで提案されたのが酒を飲むのは程々にして何かについて議論をする知的な会にしようではないか、というものだった。

エロスとその賛美

その議論の内容とは「エロスの賛美」だった。現代においてエロスとはエロティックな行動や容姿と一緒くたにされますがこの時代のエロスとは神に近い存在か精霊のことを指している。いわゆる恋のキューピッドと言われる裸で弓を持った恋を司る精霊や神のことだ。しかし、このエロスは神であるのにもかかわらず神話の中では脇役に甘んじることが多い。この時代の饗宴に参加した人たちもそれを憂い、エロスがいかに優れていて美しいものかのという賛美を始めようということになった。

その時の名だたる詩人や医者などがこれに参加しますが特筆するべきはアガトンとソクラテスの演説だった。話す順番としてはアガトンの後にソクラテスだったのですがその話し方と内容の対比は見事だった。

アガトンはソフィスト的な弁論術によってエロスの賛美を行う。それは内容よりも形式や押韻、同じ言葉の音による反復などが聞き手に美しく聞こえる、というところから説得を試みるやり方だった。

ソクラテスはそれとは逆に対話的に話を進めることにより哲学へと方向転換をした。話自体の内容に対する感想は難解なところがある。要約するとソクラテスが語った内容とは人間は1人の体の美しさに気付き、やがてそれは全ての体の美しさに気付く。体の美しさから心の美しさに昇華されやがて人間と社会の慣しに対する美しさに気付きそれらは全て密接に結びついているということに気づき最後には知識の美しさに気づくという過程だった。これを美の梯子と言う。美の梯子、つまり言葉による他者との対話によって生まれる哲学と似ているのではないか、というのがソクラテスの主張だった。

この時代の哲学書が面白い理由の1つとして歴史背景、文化的背景がサブのテーマとして流れていることだ。この饗宴ではこの時代における少年愛(大人の男性が聖人になる前までの少年を愛でた)ことをエロス賛美と絡ませたり、また科学が発展してないことから解明されてないことが多いので神、精霊などを用いて議論を行っていると感じる。古代ギリシャの哲学書というのは表面的な字面を追うのではなくその人の言いたいことを想像するというのがかなり必要とされているので面白味もあり難解でもある。