田中はゆるくいきたい

病気と人の関係を突き詰める「急に具合が悪くなる」について

この本の中では二人が病気と人間に関して深く考察する交換日記のようなやり取りが交わされる。哲学者らしい、人間の気持ちを掘り下げる様子は一見に値すると感じる。二人のうちの片方は病気を患っている。

なぜ、いま、急に具合が悪くなるのか

医者は重病患者と話をするときにはよく「急に具合が悪くなる可能性があるので遠出はやめた方がいい」と話をする。しかし、患者が知りたいのはいつ具合が悪くなるのか?であって普段の行動をいつも通り出来るかである。この話を本書では野球に例えていた。

例えばあなたが野球を観戦してたとして選手がホームランを打った、としよう。それは果たして必然なのだろうか。野球選手が試合までに良い打球を打てるように練習したのは誰でも理解できる。いつかホームランも打つだろうと予測もできる。しかし、なぜ「いま目の前で」ホームランを打ったのか?その予想をするのはかなり難しいし、その原因を特定するのは難しい。

ガン患者や病気の人間がいたとして遠出や無理をさせないように医者は言うだろうが、それはいつ体調が悪化するか分からない。厳密に言うと科学が教えてくれるのはどのように病気が悪化するかであって、なぜ、いつ病気が悪化するかではない。酒やたばこが病気の原因と一般的に言われるがそれをしなくても病気になる人はいるし、厳密に言うと「何が」病気の原因かは分からずじまいである。

感情の伴わないやり取りをやめろ

このやり取りをやっていた一人があることに気づく。それは、文章の内容が知らず知らずのうちに患者-非患者の文章になってしまっていることだった。無意識に感情の伴わない会話のキャッチボールになってしまっていた。ここでティムインゴルドの引用がされる。

「電車などで移動するのは感情の伴わない移動で、徒歩移動は知覚を伴った能動的な移動である。」インゴルドが言いたいことと、この本の人間が言いたいことは100%合致しているかどうかは分からない。だが、会話のキャッチボールにおいても間違いがない、感情の伴わないやり取りがなされているのではないかと指摘したいのだと感じた。

最終的にたどり着いたのはこのインゴルドの引用と自分たちのやっていることの結果だった。「人間が関係性を作るということは立ち止まることでもなく握手することでもなく互いに行動していくことなのではないか」と。ここの解釈は難しいと思う人もいるが「短絡的に納得や拒否をするのではなく一緒に行動や理解していかなければ他人は理解できない。一緒に間違ったり右往左往しなければ答えは見つからない」と読める

自分たちのやっていることを批判的にとらえるという行為はかなり知的でスリリングだと思う。そういった作品や本を読むのは大好きなので哲学やそういった本が好き人にはおすすめだ。