田中はゆるく生きたい

人の弱さ、そしてひとりぼっち、まどかマギカが面白い理由

カルチャー

最近、昔のアニメも見てみようと思い虚淵玄が脚本をやっているまどかマギカを見た。あまり脚本に焦点を当てて作品を見ることはなかったので新鮮な気持ちだったし、やはりストーリーや設定を考える人間はすごい。ちなみになぜ虚淵玄に興味を持ったかというと沙耶の唄を紹介する動画をたまたま見てそこからまどかマギカにたどり着いた。これから話すことは個人の感想だしネタバレだし見たくない人は見なくていい。ただ、ここで伝えたいことや作品の見方は他の評論や感想を探してみることができなかったので読んでほしい。

間違いなくその世界で生きているキャラクター

生きてるって素晴らしいなぜなら死んでしまうのは悲しいし、死んだら一人ぼっちだからだ誰かが死んでハッピーエンドになるはずがない、絶対に。普通のストーリーはそういう話が多い。それにしてもこのアニメはキャラクターに芯が通っていて生き生きしている。アニメとか小説によってはこいつ何考えてんだ?とか自己として確立してないよなっていうキャラクターがたまにいる。僕に言わせてみれば魂がない、目が死んでいるというか、ストーリーに動かされていますよって感じのキャラクターが好きではない。

こういうキャラクターを見てしまうと気持ち悪さがこみあげてくるし読む気がうせてしまう。そういう点でまどかマギカは安心してみられる作品だった。放送された部分以外でもその物語が続いたら勝手に生きてそうって思える。そんなまどかマギカのキャラの感想を見てほしい。

・マミ

全体的に余裕のある印象を受ける。サヤカに対して純粋に彼のために奇跡を起こしたいのか、彼に奇跡を起こして自分に注目させたいのかはっきりしたほうがいいと忠告するのも伏線になっている。3話途中で死んでしまうことに僕はあまり驚きがなかった。驚いた、という感想が多いけどそれは死ぬことそれ自体は表面上のことでしかなくシナリオ上ここで死んでしまうことに意味があり、そこからシナリオが動くことが期待できるからだ。ここから他の人間が魔法少女になる可能性は高くなりいずれはマドカが魔法少女になる可能性もある。そこに葛藤、新たな壁、結末が絡んだらおもしろいことになるなと不謹慎かもしれないが思った。

そして、世界が変わって「みんな死ぬしかないじゃない」というセリフ。それは自分が必死の思いで魔法少女になったこと、孤独で頑張ってきたことに対してすべてが無どころかマイナスの絶望になったことに対する無力感がある。その話までは比較的に余裕があった印象ではあるがその人間が突発的な行動に出るほどの絶望感を演出するいいシーンだった。

・マドカ

主人公。自分が愚かで臆病で何もできない人間だと思っている。しかし、序盤のほうでも魔法少女になるために躊躇したり、ホムラの忠告を聞いてなおかつサヤカやマミの意見を聞いてもなお「悪い人ではないんじゃないか」と考える賢さもある。序盤時点では片方の話しか聞いてないし全体像が分かりにくいので誰が正義なんだろう?という疑問は当然ある。主人公というよりは最後にとった行動が主人公だったという印象。マドカの話はまた後でする。

マドカの母親、父親

マドカの母親の仕事観について描写がある。それは嫌なことはたくさんあるが仕事を通じた達成感、頑張ること自体に意味を感じている、そのために仕事をしているという描写だ。父親はそんな母親を尊敬している。頑張ること自体に達成感を感じてそれを続ける生き方そのものを人生の目標にしている。マドカがこの世からいなくなったときその言葉に近い思いで魔法少女を続けているのはホムラなのではないだろうか。また「正しいことを積み上げてもハッピーエンドになるわけではない」というセリフがあるがこれが物語の結末を予想させる伏線にもなってる。

・サヤカ

割と一般的な人間ではあるが間違っている、非効率だと言われても自分の信念に基づいて行動しているのが素晴らしい。個人的にこのサヤカがいないとこのストーリー回らないんじゃないかと思う。一方でマミ原理主義な一面もある。「他の魔法少女は自分のことしか考えていない」と言うセリフからもそれがうかがえる。しかし、マミが魔法少女になった理由も自分がそうしないと生きられないのが理由でサヤカが魔法少女になった理由も上条君の腕を直したいからだ。自分のことしか考えていないのはみんなそうなのだ。

矛盾しているけどこれが人間の弱さだなと思うしそれが生き生きと描写されているのでむしろ良いシーンだった。それだけにはとどまらず「魔女より悪い人間がいたら戦う」という行き過ぎた正義感みたいなのも垣間見れる。そこも含めてより人間臭い描写が積みあがっていく。このサヤカに対して仲間同士で戦ってる場合じゃないと言うのは簡単だ。だが人間に対して正しいことを言ってもそれが行動として伝わるかどうかは別だということもしっかりと伝えている。

また、キョウコとのやり取りで「他人のために契約をしたことを後悔していない、その気持ちを嘘にしないためにも後悔だけはないと決めた」と強がりも言う。そして上条君に対して「自分はゾンビ(魔法少女、人間ではない)だから抱きしめてなんて言えない」と感情の起伏が激しい。「誰かを見捨てたりする魔法少女になりたくない」など割とこのサヤカというキャラクターは意地を張っているしきれいごとをめちゃくちゃ言う印象だ。だけどそういう人間臭さ、弱さを生き生きと描写したサヤカというキャラクターがいないとこのストーリーは面白くならない。個人的に一番好きなキャラクター。

・キョウコ

サヤカと対立しがちだし結構角が立つ言い方をする。ただ自分のために魔法を使ってすべての責任は自分にあると考えたほうが楽という考えは自由と責任の話が頭をよぎる。「自分のために戦う」そう思ってるのにも理由がちゃんとあるのがいい。魔法少女になった理由としては父親絡みなんだけどそれで願いはかなったが結局不幸になった。だから他人のために何かをするのではなく自分のために動くという信念を持つ。サヤカが魔女になった時も自分の身を挺して一緒にいてあげるし「ひとりぼっちはさみしいもんな」と言う。それは父親や家族がいなくなってしまったキョウコが言うことに格別の哀愁が漂うし、優しさがにじみ出てる。サヤカとは生き方として違うし反発していたが同じ魔法少女として同情をしているのだ。

・ホムラ

序盤の印象は孤独に対する耐性もあるし、精神的に強すぎるキャラだなと思った。しかし、終盤につれてわかるが誰よりも独りぼっちを嫌ったキャラクターなのではないだろうか。そして違う世界のホムラは無力感を感じている。だから自分を助けてくれた、肯定してくれたマドカを助けるために能力を使おうと願う(その先の世界でマドカが自分に無力感を感じているのが面白い)誰にも頼らない、誰にもわかってもらう必要がないと固く心に誓うが前の世界のマドカのために今の世界のマドカにきついことや忠告をしてしまいそれがすれ違うというところは素晴らしい。前の世界のマドカの願いのために今の世界のマドカにさえわかってもらう必要はないと考えている。

・キュウベエ

最高のキャラ。考えていることは間違えではない。最大多数の最大幸福的な理論に基づいているんだけど人間側からすると信じていたものが簡単に扱われなすぎて犠牲になる前提の話で反感を買いやすい。人間に対しては大きな物語理論で宇宙全体の利益ですよと言われても小さな物語、いわゆる個人やその友達の生死や人格のほうが大事なので受け入れられないんだよな。自分もむかつくなとは思いつつ、「犠牲になったほうが世界や宇宙が存続可能になる」という話は全体の理論としては正しいのだ。ただ個人として全体のためにお前が犠牲になれと言われたら僕は絶対に嫌だ。だからマドカ側に感情移入するんだよね。こういった魔法少女の「人間の信念・感情」vs キュウベエの「非人間の効率・論理」の対称になっている見せ方は素晴らしい。これがあったから僕はこのストーリーに感情移入できた。そして、興味深いところが「どうして人間は魂のあり方についてそんなにこだわるんだい」や「人間は神経器官の集まりでしかない」などの疑問で最近話題の科学者の自然主義っぽい。

明らかに狙って作ったキャラクターとストーリーのギャップ

まどかマギカのキャラクターデザインをぱっと見ればかわいらしいなと思うだろう。ただそれに反してストーリーは重厚というか割と現実的なストーリーで見ていて苦しいところさえある。その表現ギャップで何がしたかったのだろうか、何が目標だったのだろう。そういうデザインが好きな人間に報われない現実を見せることだったのだろうか。確かにそのギャップで悲壮感は相対的に大きくなった。ストーリー進行もいぶし銀というか渋い。デザインはともかく売れるためのきれいさ、しぐさやフェチそんなものをいれずに勝負した作品だった。なによりキャラクターがこっち側(視聴者側)に媚びてない。

そしてまどかマギカに耳障りの良いシナリオは存在しない。キャラ一人一人がストーリーに反逆していて、逃れられない運命に少しの奇跡があるんじゃないかともがき苦しむ。願った奇跡によってそれぞれのキャラクターの信念が示されている。だから時にはケンカすることや突発的な行動をすることもあるがそれがとても人間らしく美しい。このキャラクターデザインからは想像できないほどの厚いストーリーだったしこのストーリーで伝えたかったものを消化しきれるかどうかは人を選びそう。

魔法少女は人間ではない、としたら僕らは人間でいられるか?

ホムラの言葉に対して「なんでそんなに冷たいの」マドカが聞くシーンがある、これにホムラは「人間じゃないから」と答えている。魔法少女の人格・意識はソウルジェムに収められてそれが自分の身から離れると抜け殻のようになってしまう。その程度で人間じゃなくなるのか?と一笑に付すこともできるだろう。ただ今の人間社会を顧みると人間の定義が揺らいでくるのがわかる。今、僕たちはSNS上の人格やVtuberのようにキャラクターの概念をネット上に置いたりして活動している。少なくない人が現実と仮想世界の自分の乖離に苦しめられている。そういう人だけだろ、と笑うことなかれ。

SNSをやっていなくても仕事のあなたとプライベートのあなたは違うはずだ。それを普通の少女と魔法少女の関係に照らし合わせるとどうだろう。今の人間たちはまどかマギカのキャラクターのように信念を持って行動できているだろうか。最初に希望をもってこの世界へ飛び込んだあなたは世界の不条理さ、人間の汚さに絶望はしていないだろうか?僕自身これに答えられない。

結局、まどかマギカとは何だったのか

ここまで長々と思ったことを文章にしたが、結局まどかマギカとは何だったのか。希望と絶望の物語?いや人の弱さの物語とまとめたらいいだろうか。奇跡を願うことは誰にでもあるがその奇跡を願ってよく考えず魔法少女になったということがすべての人間の弱さを表しているのかもしれない。それを少女と言われる幼い女の子にやらせるストーリーというのがかなりずるいし、やっぱり面白い。希望の存在であった魔法少女がやがては魔女になってしまうという設定はどこか見ていて居心地が悪い。奇跡を願って魔法少女になり不幸を願って魔女になる、この一連の流れがどこか身に覚えがあるからだろうか?僕たちの現実世界は終わらないが、アニメではその終わりのない世界をマドカは終わらせたのだ。マドカが終わらせたものとして

  • 今まで希望をもって絶望に代わってしまった魔法少女
  • ホムラの終わりの見えない繰り返し
  • 魔女という概念

これらすべてをマドカ自身が終わらせたいと考えて終わらせることができた。これでよかったのだろうか。そう考えているとまた別のキーワードが浮かんでくる。それが「ひとりぼっち」だ。マドカが一人で戦っているマミに大げさにひとりぼっちじゃないよと励ましたり、キョウコが魔女化したサヤカに「ひとりぼっちはさみしいもんな」と語りかけたりする。ホムラが一人ぼっちになってでも追いかけたマドカが今度は永遠の一人ぼっち、概念になってしまった。しかし魔法少女は根源的にひとりぼっちだったのをマドカ自身の奇跡で変えたのだ。そこに残されたホムラも死んでしまったマドカが近くにいる気がして頑張れる、ひとりぼっちではなくなったという描写はその表れである。マドカがそれを自分で考えて叶えたのだ。

さて、この記事の初めのほうに「死んだらハッピーエンドにならない」と書いた。この文章、実は僕がまどかマギカを視聴する前の小説やストーリーに対する気持ちだ。だが、今なら言える。誰かが死んだとしても、犠牲になったとしても面白いストーリーはある。不条理な現実から逃げないし苦しいし悲しい、でもひとりぼっちではないハッピーエンドを表現した作品がある。それが僕にとってまどかマギカだった。