田中はゆるく生きたい

PC版SteinsGate0はすべてのSteinsgateのストーリーを救った

カルチャー

steamで安くなっていたので買った。SteinsGate無印もゲームアニメともにプレイ視聴済み。なので感想もどうしても無印のsteinsgateと比べることになる。以下良いところ、悪いところとか感想を雑に書く。

現代の研究がちりばめられている

これはSteinsgateシリーズ特に0で感じられたことでもある。この作品は現代の科学系の研究をもとに作られているなと感じる場面が多々ある。例えば最近の研究で「人の記憶は時間がたつほどに自分の主観が入り交じり正しい記憶でなくなってしまう」というのがある。

人の記憶は曖昧なもの。伝言ゲームのように書き換えられていく(米研究)

この言葉もキャラクターのセリフとしてある。このゲームを作った人間は科学妄想アドベンチャーを名乗るだけあり、最近の研究や論文をしっかり見ているのだろうなと感じた。このSteinsGate0はアマデウスというAIシステムがカギを握る。その研究と開発では人間の記憶をロボットに移植させる実験やそれをネットワークにつなげる実験は実際にあるのでここも興味深い。

脳をデジタル化することで 永遠の命の実現は可能になるのか

興味深いのは記憶だけではなく意識も移植できるのではないかというところ。これできればロボット自体が記憶を引き継ぎつつ恥ずかしい、戸惑いなどを表現できたり嘘をついたりすることもできたりするだろう。

哲学も健在

僕がSteinsGateを好きな理由が哲学的引用があるところだ。SteinsGate無印のほうではハイデガーの言葉を借り、「人間は根源的に時間的存在である」という引用があったが今回も哲学的引用は健在だ。

※ちなみにこの言葉「人間は時間にとらわれている」という解釈もできますがハイデガーの死に対する興味と考察を含んだ言葉と解釈すれば「日常では死ぬことを意識せずに生きている人間が死を覚悟して初めて、自分のするべき、したい行動や考えが思いつくのだ」とも読める。実際、シュタインズ・ゲートではクリスやまゆりの死を目の当たりにして自分の行動を変える岡部がいる。

SteinsGate無印でも出血多量で倒れているクリスを見て殺されたと観測する岡部と、クリスをスタンさせて出血多量に見せかける別の岡部では真実は違うし、世界線が違う。それは哲学で言うところの事実と真実は違う、本質主義と相対主義の話にもつながるところ。また、記憶を持ったAIやロボットが嘘や意識まで持ってしまったら人間と何が違うのだろうかと複数のキャラクターが自問自答するシーンがあるがこれもかなり哲学的。昔、多くの哲学者がサルと人間との違いを盛んに議論したように今はロボット、AIと人間は何が違うのか議論する時代になった。

この物語はもはや後付けでも蛇足でもない

SteinsGate0はsteinsgate世界線にたどりつかなかった失敗した世界の話と捉えられがちだ。しかし、僕はそうは思わない。このSteinsGate0はSteinsgate無印のBadEndを含むすべてのルートを観測した人間たちをすべて救済する物語だ。ラストのシーンはまゆりと鈴羽が遠く昔の地球に取り残されて救えないように思えるかもしれない。しかし、その絶望さえアニメ版ではラスト30秒で救われた。この0の物語は蛇足ではなくこの0の物語があったからSteinsGateはトゥルーエンドになった。そして、SteinsGateはPC版、アニメ版どちらも視聴、プレイをして初めて完結する物語なのだと理解する。