田中はゆるくいきたい

「イカゲーム」は韓国の行き過ぎた学歴社会と資本主義の批判に見える

カルチャー

最近流行っている「イカゲーム」を見た。最初はバトルロワイヤルやデスゲーム要素のあるドラマとしてあまり期待せずに見ていたのだが想像以上に面白かった。面白かったと言っても表面上のデスゲームがとても面白かったのではなく、そこの裏に流れている人間たちの考えや社会に対する強烈な批判が入っていると思われる点だ。

ただのデスゲームではない

これは明らかにただのデスゲームではない。そもそもなぜ参加者はイカゲームに参加することになるのかを明確に描いている。特に主人公は昔まじめに働いていたのに会社からリストラに遭った人間だ。そこから母親と暮らし始めギャンブルなどにのめり込み、借金やローンなどを抱え込んでいく。

これを自業自得と思うだろうか。僕はそうは思わない。韓国は日本を超える学歴社会であり、格差社会でもある。年金制度が始まったのはここ20年程度であり、高齢者は年配になっても働き続けなければ生活が続けられなくなる。日本以上に「学歴で人生が決まる」と言われ社会全体で学生の受験の日には気を使い、大手の企業の就職倍率も大変な高倍率になっている。日本でも最近「生きづらい社会だ」という言葉はよく使われる。しかし、韓国でもそれは変わらない。

こういった社会になるとギャンブルに手を染めて一発逆転を狙う人がいてもおかしくはない。ドラマだからなんとなく特徴のある主人公にしようとしているのではなく、社会に対する風刺としてこういった設定のキャラクターにしたはずだ。こういう立場になったらあなたはどうするのか、というキャラクター自体が問いかけになっている。

イカゲームは現実より希望がある

「現実には希望がないがイカゲームには希望がある」とイカゲームの参加者が言った。イカゲームの参加者は何らかの理由で金が必要な人間だ。主人公のように借金とローンで首が回らないくらいの生活をしている人間だっている。そういった人間はイカゲームに参加せず、現実に戻ったとしても借金だけを返す生活になってしまい人生が終わる。それが嫌だからイカゲームに参加する。

この作品の中でイカゲーム参加者のほとんどがゲーム不参加を表明して現実に帰る場面がある。イカゲームから帰ると参加者の多くは変わらない現実にまた直面する。主人公の古くからの友人は名門大学の卒業のエリートにも関わらず投資の失敗で多額の借金を抱えてしまう。あろうことか母親の店や家までも担保に入れて取引をして失敗した。その後悔の念から家で自殺してしまうような描写がある。しかし、そのとき家の玄関にイカゲームの招待状が届く。

これまで参加者だけをピックアップしたがイカゲームを管理しているマスクの人間たちも実は比喩表現だと思っている。あるゲームで参加者が反抗してマスクの人間の素顔を見る場面がある。そのマスクの素顔は死んだ目の若い人間だった。仕事に忠実で上司の命令には絶対従い、冷めたご飯を食べてスタッフ専用の狭いところに住んでいる。ここまでくると就職状況が厳しい韓国の若い人間の描写に見えてくる。

イカゲームの良いところは社会的弱者、老若男女、エリート問わずイカゲームに参加していることだ。そのうえで数あるゲームを参加者たちは、ゲームを有利に進めようとして年配や女性を自分のチームに入れないなどの描写がある。これ自体が差別だという指摘もある。僕は全く逆の考えを持っていて韓国の社会では資本主義社会で勝ち抜くために年配や女性など特定の属性の人間を忌避しているのではないかというメッセージになっていて、そういう社会はダメだよねという現実の社会を風刺しているものだと感じる。その証拠に外国人労働者で韓国に出稼ぎに来て、あまりゲームを理解していない、言葉をうまく操れない人間がいる。イカゲームではその人物を利用して自分だけ勝ち残ろうとする人間もいる。あくまで、そういった現実社会を風刺するためにこのドラマがあるんだろうと見ることができる。

人間は片方しか見てないとそれが正しく思えてしまう

主人公と古くからの友人が言い争いが絶え間なく起こる。友人と主人公は犠牲を出しつつ幸運にもゲームを勝ち残る。友人はエリートの冷酷な現実主義。主人公はゲームに勝つにつれて本当にこれでいいのだろうかと悩んでいる。そのときの一つの場面のセリフを紹介する。

友人「俺は死ぬ気で頑張ったから、自分が努力したから生き残ったんだ。俺以外のみんなが犠牲にならないとこのゲームに勝てない。お前が惨めなのはそういう考えを持たず、他人に世話を焼くし頭が悪いからだ。」

主人公「犠牲になった人がいたから俺たちは生き残れた。確かに俺は頭が悪いし、脛もかじっている。しかし、お前のようなエリートがなぜ俺とここにいる。それも俺のせいか?」

成功した人間や恵まれている人間は自分が頑張ったから、努力したからだとここまでこれたと言う。しかし、それは見えないところで犠牲になっている人間がいるからではないのか?また、現実世界でも能力のある人間は能力のない人間のせいでうまくいかないのだと言うことはできる。しかし、それは他人を自分のために利用してもよいという意味にはならないし、犠牲になってもよいという意味にはならない。そういうメッセージに聞こえる。

繰り返しにはなるが「イカゲーム」は学歴社会や資本主義が行きつくところまで行きついてたどり着いた韓国の現状を批判するドラマに見えた。それも単なる経済弱者だけでなく老若男女、敵味方関係なく苦しんでいる人間を描き切った作品だった。「イカゲーム」のように他人を蹴落としてまで自分のことだけを考えて国や社会は成立するのだろうか?人間は幸せになれるのだろうか?そんな大変興味深い問いを提示しているドラマには違いない。