なんかわからんが新卒フリーランスになった

2019年12月6日

このブログのプロローグ

もともと「会社」というのが嫌いだった。

所属はしたことはないけれど何となく嫌いだった。

言われるがままに仕事をして満員電車でため息をつきながら帰る、というイメージのせいかもしれない。

僕のちっぽけな頭の中で必死に考えた想像のイメージであるし、世の中には仕事が楽しくて仕方ないっていう人もいることはわかる。

しかし、繰り返しになるが僕の「会社」あるいは「仕事」という言葉のイメージはよくない。

そんな僕も東京の専門学校に入る前までは好きなITでバリバリと働く道を行くんだろうなと思っていたし、事実、プログラム言語で簡単なプログラムを作るのも好きだった。

特に自分の好きな分野であるwebサービスなんかできる会社だったら残業してでも働きたいなと思っていた。

時は過ぎ、専門学校の卒業年度になっていた。

その時にはもうすでにITに関わることに嫌気がさしていた。

プログラムの勉強も楽しいしテクノロジーの進化などは端から見ていておもしろい。

が、卒業制作でシステムを作ったり、外部の人間からプログラムを組んでくれと言われるたびにこれを仕事にするのは無理だなという気持ちが強くなっていった。

まず、よほど上の人が要件の定義や人の工数管理などがうまくないとこれは回るはずがないと思った。

また、システムやプログラムを作ったのはいいが完成した時点で「想像してたのとは違った」とか「ここはもっとこうして欲しい」などと言われるのもつらかった。

最初から言えよと・・・。

これがもっと大きな開発で起きたとしたらぞっとしたし、そんなことは普通に起きるだろう、と予想できてしまった。

そんな気持ちもつゆ知らず、時間は進み続け就活の時期になってしまう。

自分が通っていた専門学校では1年生の後半頃から会社の人が生徒向けに会社の説明会をしてくれる。

想像していた通りの人が来て想像していた通りの説明をして、いかに自分が所属している会社がいい会社であるか説明していった。

はっきり言って説明会に出るのだけでも苦痛だ。

しかし、ここまでならまだマシだ。

説明会で配られる資料には客先常駐、工場勤務、遠隔地勤務など嫌なワードが踊る。

質問でそれについて聞くとあまりいい顔をされないのもそこで初めて知った。

学校で一番の親友は東京勤務希望で就職して見事受かったのだが内定が決まった瞬間、近畿地方の田舎に勤務することが決定した。

本人曰く、西日本に住むのもアリだと思っていたらしい。

就職が決まる前までは東京が一番だと言っていたはずだが・・・。

そういったことがあって、専門学校在籍中これといった仕事が見つからなかった。

当然といえば当然。
僕自身も趣味と仕事は違うということをわかっていなかったのかもしれない。

そして名義上フリーランスになった。
今はランサーズやクラウドワークスで自分にできる仕事を探している。

餓死しない程度には仕事が転がっている。
フリーで仕事をして金銭的に辛かったらバイトでもするかもしれない。

今は将来に大きな期待もしてないが不安にもなっていない。