田中はゆるくいきたい

切れない縁、陰鬱、少年のアビス

カルチャー

地方の陰鬱さ

始めに言っておくがこの記事では地方のダメなところを強調して描きたい。なぜなら最近少年のアビスを読んでしまってそういう気分だからだ。あの漫画は家庭内の事情とかマンガ的に面白くするために誇張表現がある。あれが地方の平均的な家庭とは思わないし、あれが地方の平均的な考えや働き方とは思わないが実際の地方の暮らしに近い部分は少なからずある。

実際の地方の生活圏内は顔見知りが多い。隣の家の人間がどんな仕事をしているかわかるし、子供がどのくらい大きいのかわかる。友達の父親のところで働くなんてざらにある。誰と誰が付き合ってるかなんて街が小さければ小さいほど情報が回るし、他人の息子がどこでどのように働いているかなども出回る。昔の人はそれくらいしか娯楽がないのだ。若い人はインターネットや自然と触れ合うなどあるかもしれない。しかし田舎の大半の人にとって趣味や娯楽は世間話をして他人の情報を知ることと自分の情報を開示することと言ってしまってもいいぐらいだ。もちろんそれによって得られるメリットはある。ただそれが嫌いな人にとってはデメリットしかない。

一時的感情で長期の問題は解決しない

セックスシーンが結構ある。これは物語の言いたいことと比べると、誰といくら爛れた肉体関係を持とうが問題ではない。なぜならそれ以上の問題を主人公と周りの人たちは抱えている。いくら頑張ろうとも兄の引きこもり問題なんて解決しないし、介護問題なんて解決しないのだ。それに疲れて自分の街を呪ってしまうのもわかる。

すべてはマイルドヤンキーのように生きることが幸せでありそれ以外のモデルは異端者として祭り上げられる。マイルドヤンキー、つまり地元の会社で地元のために働き地元の人間と結婚し、子供を育てる。マンガ内の建設会社社長の息子である友達もそう言う。その後も地元の人間との腐れ縁は続く。もしどこかで失敗したり病気になったりしたら先ほど言った通り噂になる。いくらセックスしても街を呪ってもその問題は解決しない。

浮かび上がる問題点

街が嫌いというより住んでいる人間が嫌いになる感覚。その街から出ることができないと感じた時点ですべては決まっているような感覚。周りにいる人間や習慣で自分の生活の枠が決まってしまっている感覚。それに窮屈や不自由を感じる。そこに心中や自殺という手段が目の前に転がり込んできたらそれに乗る人間が出てもおかしくはない。自殺率は日射時間の短い地域や寒い地域が一般的に多いと言われる。しかし、僕はその地域の人間性や考え方の硬直性も一因を担っていると思う。