どこに行くでもなくふらっと撮った千葉の風景。この写真を撮った時は人生に悩んでいて何者かになりたいと嘆いていて、何もできないと悲しんで、そんな動かされやすい繊細な心があった。
その時はその事実や行動が恥ずかしいと思ったり、何かよく分からないものに焦りを感じていた。しかし、今はその感性さえただただ美しいと感じる。その心は今あるだろうか?分からない。ただ言えることは悩んでいる人間は美しい。
思えば中学生のころからそうかもしれない。黙って授業を受けるのも嫌いだったしサッカー部に入っていたにもかかわらずスポーツが得意なほうでもなかった。恋愛だって数えるくらいしかしてない。高校だって第一志望に落ちた挙句、第二志望に受かったのは良かったものの、中退。
母親から「普通の人間ではない、これから苦しい人生が待っている」と脅されながらも定時制の高校に入学。そこで想像以上に幸せに過ごす。偏差値が低く、評判の悪い高校だった。しかし、数字では測れない出会いと経験を得ることができた。
そこである程度分かってしまった。僕は普通にならなくていいのだと。周りの人間とは合わないのだと。少数でもわかってくれる人や、それとは関係なく自分なりに生きている人がいるのだと。そういった気持ちを持ったせいか、親から勧められるまま大学に進むも中退。そのあと入学した専門学校でもギリギリの出席日数で卒業した。現在はなるべくのんびりと生きていくことを目標にしている。
ところで、僕は僕を愛しているし僕の人生や感情、感性は他の人間には関係のないことだということを知っている。僕は僕に文句を言ってる人間の話を聞いても幸せになれないことを知っている。
もしあなたが似たような問題で悩んでいたり、苦しんでいたら、周りの人間に合わせないことをお勧めする。そこに気づくと意外とすっきりするはずだ。人生の目標は作られるものではなく、作るものである。価値観も同じだ。少数派だろうが「普通」ではなかろうが関係はない。もはや個人を否定する「普通」などいらない。
ここまで言ってアレだが、人生にも人間にも飽きているので暇つぶしに文章を書いている。たまには仕事も暇つぶしにするかもしれない。最後に暇つぶしに最適なおすすめの本を載せておく。
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