ハイデガー君、問題は解けたかな?

2021年11月7日

この文章は「カクヨム」において投稿した文章を原文でブログに移植したもの。

https://kakuyomu.jp/works/16816452220206240779/episodes/16816452220376450568

EP1 フロイト新解釈

「なあハイデガー君、質問がある」

図書館の奥のテーブルで本読んでいると先輩が話しかけてきた。

ハイデガー君とは僕のあだ名である。
いつも哲学の本を読んでいるのでいつのまにかこんなあだ名になってしまった。
そのとき読んでいたのがたまたまハイデガーの本だったというだけなのだが。

「今、恋愛小説を読んでいるんだが不思議なストーリーでね」

恋愛小説。
僕が苦手な部類だ。
だが先輩の頼みとあっては聞かないわけにはいかなかった。

「どんなストーリーなんですか?」

先輩曰く、その恋愛小説のストーリーはこうだ。

主人公はどこにでもいる高校生の女の子。
ある日、隣の席に男の子の転校生がやってきた。
主人公は仲良くしようと試みるも転校生からはなぜか偉そうな態度や嫌味を言われケンカばかり。
しかしある日、実は転校生が有名企業の御曹司であることを知る。
いろいろな危機を一緒に乗り越え、心の距離が近くなった主人公はその転校生と結婚することに。
めでたしめでたし。

ぱっと聞いたところ情報量が多い。

「私は疑問なんだ」

突っ込みどころが多すぎて疑問なんだろうか。

「何がですか?」

先輩は矢継ぎ早に疑問を言った。
「この主人公は結婚をしたけど本来、就職や進学とかいろいろな選択肢があったはずだ」
「もちろん、結婚出来て幸せだと思う。」
「でも自由だったのだろうか?君は他に選択肢が無い状態で幸せになった人間を自由だと思うかい?」

さすが先輩である。
疑問が常人の斜め上だ。

小説に真剣になりすぎじゃないですか、と言いそうになった。
普段読まない恋愛小説にむきになることもないだろうに。
しかし、先輩は真面目な顔だった。
喉まで出かかった言葉を引っ込める。

先輩は凛とした声で言った。
「これをどう思うハイデガー君」

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私は迷っていた。

母親はいつも働きづめで夜は帰ってくるのが遅かった。
これは父親が早く亡くなったせいでもある。
母親は由緒ある家柄だったらしく父親が亡くなってから親戚がかなり心配してくれた。
親戚にはお気になさらず、と言っていたが無理をしているのは明らかだった。

私はそのせいもあって勉強を頑張っていい大学に入ることを目標にしていた。
奨学金でも借りながらアルバイトをして卒業したらいい就職先につくのだ。
そうすれば母親を楽にさせることができる。

学校の成績は順調でこのままいけば自分の目標の大学にも合格できるはずだ。
すべては順調に思えた。

しかし、それが起きたのは突然だった。

親戚が私と結婚したいと申し出た人がいると伝えに来た。
相手の家は母親の家系と昔から親交があり、名の知れた会社を代々経営している家だった。

政略結婚とまではいかないが思惑があるのは明らかだった。
しかし、その申し出を飲んだほうが母親の家柄的にもメンツが保たれ、これからお金の心配をしなくても済む。
そのときは大学に行くことは出来なくなり相手側の家の考えに従うことなるだろう。

私は結婚を申し出た相手側の男にも何回か会った。
印象としては別に悪い人ではないと思った。
もしかしたら結婚は本人が望んだものではなくて周りの親類が無理に進めていることかもしれない。

母親はあなたの好きなようにしていいのよ、と話してくれた。
それが逆に心苦しくもあった。

ときどき思う。
このまま流されたほうがみんな幸せかもしれない。
母親が隠している苦しさも私が色々と考える必要もなくなる。
高校を卒業したら親戚の提案に従って結婚すればいい。
それでみんな幸せだ。

しかしその選択は自由ではない気がした。
私は無力だ。

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僕は悩んでいた。

無論、先輩から言われたよくわからない質問が原因だ。

昔から僕は先輩のことが好きだ。
それなりに先輩のことを知っているつもりだ。
しかし、今回のことはよくわからなかった。

恋愛小説で結婚して幸せになった主人公。
その主人公は自由なのか?という質問だった。

小説の中の話とはいえその人が幸せだからいいじゃないかと思ってしまう。
人間、生きている以上幸せなほうがいい。
何よりそのほうがシンプルでわかりやすい。
その時は哲学みたいに必要以上に難しい言葉で人生を語っても意味はないんじゃないか、とさえ思った。
だがそれを言い出せなかった。

なぜなら先輩の言い方は雑談とは思えないほど真剣なトーンだったのだ。
その雰囲気に気圧され軽々しく言葉にできなかった。
また今度その質問に答えていいですか、と言いその日は別れた。

自宅に帰ってからも考えがまとまらなかった。
部屋にある水槽の魚に餌をやりながら思考を巡らせる。

魚はいいものだ。
人間みたいに悩まなくていい。
餌さえあればどこでも生きて行ける。

そんなことをぼんやりと考えていた。

そのとき一つの仮説が頭をよぎる。
考えすぎかもしれないがそれを確かめる必要があった。
水槽を見ると一匹の魚が餌には目もくれず水槽のふちにぶつかっていた。

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後日、先輩に会うため図書館に行った。
いつも僕と先輩が本を読んだり話をしている場所は図書館の奥のテーブルでそこが定位置になっていた。
そこに行くと先輩は僕に気が付いた。

「さてハイデガー君、問題は解けたかな」

「まぁ一応」

僕は先輩に考えていたことを説明した。
内容はあまり話す気になれない一般論だった。

結論から言うと例の恋愛小説の主人公は自由でないかもしれない。
だが言うまでもなく幸せである。

主人公の選択に自由はなかったというがそれもあまり問題ではない。
幸せならそれで問題は発生していない。
逆に言うと自由であっても不幸なら意味がない。
そもそも人間に自由がないことに関しては考える必要はないと思う。
なぜなら人間に生まれた時点で自由ではないからだ。

そこまで先輩に説明して僕は口をつぐんだ。
言いたいことはそうじゃないだろ、と心の底からもう一人の自分の声が聞こえた。

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少し考え込んでいたがしばらくして先輩が口を開いた。
「現実的な回答だね」

答えとしては期待外れだっただろう。
「自由であるかどうかより幸せだったならそれでいい、か」

先輩は少し残念そうな顔をしていた。

やっぱりだめだ。
こんな上辺だけの話では何も解決しない。
絶対に後悔する。

自分に必要なのは目の前の問題を見て見ぬふりする冷酷さなのか、それとも他人の人生に口を出す無遠慮さなのか。
そんなことを考えるより先に言葉が出ていた。

「・・・でも」

「でも?」

「でもそれじゃあだめだ」

「どういうこと?」

「多分、これはただの恋愛小説の話じゃなくて先輩の物語だ」

実はこの数日間、僕は先輩の恋愛小説の話を調べていた。

まず図書館を管理する生徒に頼んだ。
例の恋愛小説のストーリーを説明して似ている小説はあるか調べてほしいと。
結果はこの学校の図書館にそんな小説はない、とのことだった。

それではネットの小説か、図書館にない小説なのかあるいは・・・

それにしても先輩が恋愛小説を読むとはとても珍しいことだ。

昔、僕が先輩に好きだから付き合ってくださいと言ったときがあった。
答えはyesでもnoでもなく「分からない」と言われた。
先輩曰く、好きになるという感情が分からないらしい。
こんなこともあり先輩は恋愛小説を読まないはずだ。

頭をひねっているとそこからある一つの仮説にたどり着いた。

先輩が言っていた恋愛小説は架空のもので存在しないのではないか。

じゃあなぜ存在しない物語を僕に相談したんだろう。
謎は深まるばかりだった。

そこで僕は先輩を知っているという友達を探し出し連絡をした。
初めて知ったが先輩はいわゆる由緒正しき家柄で親戚も有名な会社を経営しているらしい。
その話に加えて先輩の父親が早くに亡くなったということも聞いた。

この時点である程度の推測はできたのだがまだ確信には至れなかった。

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「なんで・・・」

恋愛小説のストーリーは先輩自身の話なんじゃないかと言った瞬間、先輩は驚いていた。
推測は当たっていた。

本題はここからだ。
「これが先輩の話だとするならまだ話したいことがあります」

先輩はしばらく力なくうなだれていた。
前髪が顔にかかって表情は見えないが微かにうなづいたように見える。

「力になれるかはわかりませんが」

そう口火を切って僕はジークムント・フロイトという人の話をした。

心理学で偉人としてよく挙げられるフロイトは元々医者で精神分析などの研究をしていた。
医者ではあるが哲学的にもおもしろい言葉を残している。

自由には責任が伴う、だ。

世間では「自由と責任」という話をする人間がいるがその元がフロイトの言葉だと言われている。

それは自分で選択することは自由であると同時にその選択に対して責任を負わなくてはいけないという意味だ。
具体的に言えばそれが職業であり、進学であり、結婚かもしれない。
自由な選択肢があるということは選択を自分ですることになりその責任を自分で負うことになるのだ。
逆に言うと選択をしない人間は責任を負いたくないのだともいえる。
自由な人間ほど自分が負う責任は重い。

先輩にはここまで説明した。

「でも先輩なら大丈夫です。」

「どうして?」

「先輩はどういう選択をしても幸せになれると思っています。何より僕がそう信じています。どんな選択をしてもその責任に押しつぶされないように僕は応援します。」

もはや感情論だ。
ただ先輩のことが好きなだけでこの言葉を言ったのかもしれない。
論理的ですらなかった。

しかし、僕は誰も救えない一般論よりは目の前の人間を確実に救える感情論のほうが価値があると思った。

「ただ・・・僕は先輩が誰かと結婚はしてほしくないですけどね」

先輩はただただ驚いていたようだった。
泣きそうな顔にもなった。
しかし、最後には

「ありがとう、助かったよ」

と言った。

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この日、先輩は学校の屋上にいた。
珍しく先輩から屋上に来てほしいと連絡があったのだ。
屋上から見える青空は雲一つなく見ているだけで心が洗われそうだった。

図書館での話以降、先輩から家庭のことや親戚のことを詳しく聞いていた。
母親が苦しんでるのではないかという話も結婚さえすれば楽になれるのではないかと思ったという話も。

挨拶もそこそこに先輩は言った。

「私は断ったよ」

どうやら親族の勧めを断り、婚約しないことを決めたらしい。
これからも目標の大学合格を目指して頑張るということだ。
僕は人の人生に口を出すという恐れ多いことをしてしまったかもしれない。
幸い、先輩は晴れた顔をしている。

2人で転落防止の鉄柵に体を任せながらただ時間が流れていた。
そこから見えるグラウンドでは生徒が部活動をしていた。

「そういえば一つ聞きたいことがあったんだが、ハイデガー君」

また恋愛関係の質問ならやめてほしい。
今回の件で学んだが恋愛に哲学はあまり役に立ちそうにない。

「これは確認なんだけど、君は私のことが好きだろう?」

「は、はい」

「自由には責任が伴うんだよね?だったら私は君に自由にさせられたのだから
君は私の人生に対して責任を取ってくれよ、ハイデガー君」

意地の悪い笑顔で先輩は言った。

前言撤回だ。
哲学は恋愛に悪用できるらしい。
先輩への答えはもちろんイエスだ。