せやみこぎ周遊記

2021年11月7日

この文章は「カクヨム」において投稿した文章を原文でブログに移植したもの。

https://kakuyomu.jp/works/16816700426043007448/episodes/16816700426043203656

過ぎ去りし蒲田の思い出

割とデカい駅を降りるとそこの近くに工学院通りがある。その時は専門学生だったので友達と歩きながら「学校だるいな」「さぼりてー」などと資本主義にあるまじき生産性0のダルい会話を繰り広げながら学校に向かっていた。すると、いきなり前方から必死に自転車を漕ぎながらおっさんがこちらにやってきた。

「おいお前!賢い大学生は何学部に入ると思う!?」

ぜぇぜぇと息切れしてるし無駄にエネルギッシュで暑苦しいおっさんである。めんどくさいが顔をこわばらせながら話を合わせる。

「え?え?えーと医学部?」

「違うんだよな、理工学部に決まってんだろー?あっははっは!じゃ勉強頑張れな」

もうお前に用はない、と言わんばかりに暑苦しいおっさんは街のほうへと過ぎ去った。意味が分からないかもしれないがこれが蒲田の日常である。

そんなこんなで僕は放課後によく信濃路に駆け込んだ。信濃路は知る人ぞ知る居酒屋だ。表向きは蕎麦屋なんだが奥の席が酒を飲む用の席になっており、つつましく飲むには最適な場所だった。この日は年配の方が多く、間の席にお邪魔をする。開幕はハムエッグとレモンサワー。今日も一日くだらない授業で一方的に奪われたカロリーの獲得に勤しむ。ハムエッグの目玉焼きを箸で割ると、まるでくす玉がぱっかりと開いたようでめでたい。僕がハムエッグが好き、と思ったから今日は飲酒記念日なのだ。

「えーこの発言を受けまして与野党内から批判が出ており~」

何とはなしにそこの居酒屋にいた全員が店に置かれたテレビの方向を見る。テレビでは真面目そうなアナウンサーが政治家の不用意な発言を取り上げていた。みんな熱心にアナウンサーの言葉に耳を寄せ、一瞬静まった後に

「かー!何やってんだかね!」

「お偉いさんが考えてることはわからんな」

と口々に文句を言いあうジジババの群れとそれに挟まれる僕。オセロだったら僕もジジイになってるところである。いや、でもわかるよ、わかる。自分の嫌なことや短所を棚に上げ、酒飲みながら一方的に文句を言う時間が一番気持ちいい。それはわかる。そしてこの居酒屋の一体感、これが醍醐味。てんやわんやの騒ぎの中で僕もこんな老後を過ごしたいなと思い、一人ニヤける。すると隣にいた快活そうなおじさんがこっちに振り向き

「若い兄ちゃんもそう思うだろ?」

「え?ええ・・・」

この街特有の友達みたいな距離の詰め方で若い兄ちゃんの僕も会話に強制参加である。ちなみに蒲田ではこういったイベントはBボタンを連打してもキャンセルできない。

そのとき学生時代の僕は20歳を過ぎていたので昼飯にビールを飲んでいたし毎週末、蒲田で酒を飲みすぎて千鳥足で家に帰っていた。それはまるで砂嵐みたいで右へ左へと死神と踊る不吉なダンスみたいに足取りがおぼつかなかった。それすらも幸せな日々だった。そのほかにも蒲田に住んでいたエピソードには事欠かさない。日高屋で隣の作業員みたいな服を着ている人がラーメンの器に顔をうずめていたり、立ち食いの天ぷら居酒屋で隣のサラリーマンにけん玉勝負を挑まれたりとなかなか他の街では体験できないことを体験できた。

そして、僕はそれなりに大人になった。あの街に行かなくなってもう1年以上経つ。

こういうご時世になるとあの店は大丈夫だろうか、あのおっさんたちは今も元気だろうかと考える時もある。しかし、何かうまく説明できないけど酒を飲みながら笑っているおっさんたちの姿が思い浮かぶ。辛いときはよくあの街を思い出す。あの人たちは心の中で「肩の力抜いて俺らみたいに生きろよ」と語りかけてくる。蒲田の思い出を振り返るたびに自分も「そうだよね」と思うのだ。