努力している人間が嫌いなわけではなく努力を押し付けてくる人間が嫌いな話

2021年11月4日

皆さんは嫌いな人間のタイプはいるだろうか。僕は割と人間嫌いなのだが特に努力を押し付けてくる人間が嫌いだ。努力をするのは勝手に自分ですればいいと僕は思う。間違っても自分がこれくらい努力しているのだからお前も努力しろという人間とは付き合いたくないし、そういう人間にはなりたくない。

そもそも努力すれば報われるというのは言葉だけ見ればかっこいいが全員に当てはまるかと言うと間違っている。努力すれば報われる人間と言うのは素晴らしい環境やその人を支えてくれる人間がいたから成り立つ話なのだ。そういった支えてくれる人間や環境が無い人間が努力しても恵まれた人間にたどり着けるとは思えない。

そこで僕が社会や国に求めているのは努力しなくても最低限の生活を営める社会である。努力する人間は最低限以上の生活をしたければすればいいという社会を望んでいる。なのでそこで努力を強制させるような社会を望んではいない。自由を尊重してきた人間としては努力の強制は自由ではないと感じるのだ。

経験則で努力を語る

なぜ努力しなくても生きていける社会を求めるのか。これは僕自身の経験によるものだ。僕は昔、スタートアップ、ベンチャー企業に所属していた。そこで努力しまくる人間を見てきた。本当に朝から晩まで働いていた人間も見てきたし、僕の人生を振り返っても比較的努力していた時期でもあった。そのうえで努力に対してのスタンスが変わった。それはなぜか

・努力しまくって燃え尽き症候群になった人を知っている
・ベンチャー企業でめちゃくちゃ努力はしているが努力の方向性が間違ってることに気づかない挙句、その会社が潰れる

という経験をしているからだ。努力してもうまくいかない人間を見てきたし、業務のメンバーから消えて連絡が取れなくなった人間も知っている。努力すること自体が仕事内容だと勘違いして間違った方向に進み続けた会社にも居たことがある。そこから学んだことは努力をするのが重要なのではなくて以下のことが重要なのだと気づいた。

・努力する方向性を決めること、その努力をしたら目標を達成できるか?
・その努力は無理ではないか?継続できるか?達成したら自動化あるいは委託できるものなのか

などだ。特に目標が無いの論外だ。努力は目標を達成するために使う手段であり目標ではない。努力してることが気持ち良くなっている人間は間違う可能性が高い。以上で目指している社会についての話、自分の経験上の話をした。そういった話から努力していること自体に優越感を感じている人、それゆえに努力しない人に努力することを押し付ける人は要注意だと思っているのだ。