最近東京、特に23区内の再開発が盛んだ。
確かに商業的な正解としてはタワーマンションとオフィスビルを作った方が資金の回収は安定する。そういった関係で再開発で出来る建物はタワーマンションとオフィスビルが多い。その後に商業施設をつくれば回収率も良い。
文化的な公園や美術館、博物館、歴史的建築物は回収率が悪い。土地の値段が高いところほど縦に高い高層階の建物を作りそこを利用している人間から資金を回収するのが定石ではある。
多方面に配慮して便利にすればするほどすべての国や地方で同じような商品・サービスが増えるので「グローバル化は世界を便利にしている一方で世界をつまらなくしている」という仮説が自分の中にある。世界は今までの歴史・文化を消費して徐々に画一化・均質化してしまったように思えるんだよな。
— シンプルに田中 (@naname_ue) December 16, 2023
東京はコミケ等の表現活動の場が提供されているからまだ良い。ただ最近行われているような画一的な再開発により雑多なコミュニケーションの場はどんどんとなくなっていき硬直化された労働・消費・居住の場が多くなっていく。
古いものが無くなって新しいものが増えるのが恐れているのではなく、コミュニケーションの場や都市の余白がなくなることの方が怖い。不安駆動の人間たちのおかげによって「知らない人とは話すな」という教育が広まっている。それが隣の人とも交流しない隔絶されたい住空間が広大に広がる結果になってしまった。
オフィスビルはそこで仕事をする人、タワーマンションはそこに住んでいる人、という区分けをして外部の人間と隔離することによって安全性を高める。しかし不安を駆動させて防犯を進めていくほど知らない人と雑談コミュニケーションは減っていく。不安駆動の安全性が想定通りの日常を醸成するのであってそこに意外性は出てこない。繰り返しの日々が永遠と続く。そして、そこから自由な発想や創作や発明は出てこない。だから、自分の周りや自分と同じ生活をしている人間以外の想像ができない。そこでのみ常識が決まってしまう。
何をするのかよく分からない場所=消費できない場所は淘汰されるのだ。そういった場所をうまく利用するのが人間の想像力であるのに。
東京はもはや田舎を馬鹿にできなくなったのだ。ただの消費活動をする街になったしまったから。