田中はゆるくいきたい

今、新しい宗教が必要な理由

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創価学会や統一教会などの政治的なバッシングが多い今日この頃にこういったことを言うのは少しばかり憚られる。しかし、資本主義や情報化社会などによって個人の趣味嗜好がばらけた結果、世代が同じでも話が合わなくなってしまったりして日本の共同体が解体されているのは明らかである。共同体が解体されると無力な個人が残る。無力な個人は会社や社会におんぶに抱っこで生きているのですぐに国や自治体に助けを求める。それの対応に対して国や自治体は税金や人間を投入する羽目になる。個人の弱者性や個別の事象に対して団体が対応するのはそ限界がある。ではどうするか。

日本には貨幣の面と思想の面からのベーシックインカムが必要である、と提案する。貨幣の面からのベーシックインカムというのはその名の通り0歳から死ぬまで一人の人間が生きていく上でのお金を確保することだ。これを絶対的恒久な制度にする。そのことによって仕事や人間関係がうまくいかなくなって精神的・身体的にきつい状況になっても個別的な事象・弱者性に関わらず生活は最低限保つことが出来る。

また国や社会はこれを絶対やらないといけないわけではないがこういった社会保障をやらない国はもはや存在する意味が無い。個別の弱者性の競争に対して事務処理や理解をするだけでは時代が進めば進むほど費用がかさんでしまい破綻する。なので雑に貨幣を配り弱者性の議論は終わらせるのだ。またこれは個人が本当に生産したい物を生産する意味でも有用である。

次は思想のベーシックインカムがある。実はこれが今回メインで話したいことである。思想のベーシックインカムというのは失敗しても戻ってこれる原点的な思想・考えという意味で提案している。それは老若男女・社会的立場関わらず信じられるものが大切である。それは全員が信じられるものが良く、それは努力しなくても信じられるものが望ましい。最近は政治的なイデオロギーでそれを解決しようとする政治団体もあるのだがそれは左翼的なものでも右翼的なものでもいずれ破綻するような気がしている。

思想のベーシックインカムというのは日本人全員が信じられる新しい宗教の開発である。例えば日本では昔から家族を人生の優先順位第一位として考えることをしていた。つまり宗教として家族を大事にする家族教みたいものである。これについては半分以上は賛成ではあるし、昔の人はそれで生きていけた。そして他の国も家族教を生きる意味として考えている国は多くある。しかし、残念ながら家族は不老不死でもないので神なりえない。

悲しいことを言うと家族は死んでしまうのである。少子化や老人の孤独死があるような世の中で永続的な家族教というのは現代が要請する新しい宗教にそぐわない。そういう意味で家族教に近い新しい宗教・新しい神が要請されているのである。それが地域によってイスラム教だったり仏教だったりキリスト教だったりするのかもしれないが、日本の人間全員が薄く広くなんとなく信じておりこのために生きていると言い切れる宗教が現在無い。これが現在日本の中で多くの人間が不安でたまらない原因の一つである。

以上をもってして時代や家族形態に関わらず新しい腑に落ちる宗教の登場が待たれるのである。それは地域の祭り的なものでもよいし、イベント的なものでもよいのだ。半永続的に自分の心の中に残り続けるものでどの世代にも価値として認められる何かが必要なのだ。もし、そのようなものが再興できれば再度多くの人間同士で話が噛み合う。そして知らない人同士でも協力できるような関係性が強固に築くことが出来て今までの地域共同体とは違う、別の共同体の復活になるのではないか。