大抵の人間はネットもテレビも見ずにローカルでひっそりと暮らしたほうが幸せなんじゃね

なんか最近、哲学の本読むせいか幸せ論とか考えるクセがついてて非常にまずい。このままでは「君は今幸せかね?」とかTwitterで突然クソリプ送る太ったジジイになりかねない。

※仕事は楽しいかね?/デイルドーテン

ただタイトルのような考えに至った発端があるので聞いてほしい。

流行の「身の程」論

発端というか最近になって身の程論が流行り始めてるのがこの考えの始まりなんだよな。身の程論というのも「才能ある人が稼げるのは当たり前で才能も努力も嫌いな自分が稼げないの当たり前じゃね」みたいな論で身の程を知れって言葉から来てる。

最近、割と有名な人間が話しているのが原因で共感を得られているような気がする。ネットとかテレビで紹介される才能ある人を見て触発されたがそれに匹敵する才能や努力ができないのだと気づいた人間に刺さりそうな論ではある。というかそもそもネットもテレビも一部しか移さないので完璧に見えやすいし凄そうに見えるのは当たり前なのだが・・・。

そんなこんなで世の中の大半は平凡な人間なのだがテレビとかネットを視聴することで一生懸命自分と世間との比較行動をとることにより不幸な道へまっしぐらなのだということですわ。基本的に親が一般以上の家庭だと物質的に豊かな暮らしができるので子供も頑張ってもそれ以上の幸せにはならなくね?という気づきも相まって物質主義からは遠ざかっていきそう。努力しても全員が幸せになれるわけじゃないよねって、いまさら過ぎるかなと思うけど「全員努力するべき」みたいな考え方よりは支持できる。

僕の場合だが趣味でも創作活動でもして最低限の生活のために労働するのがアイデアとしては丸そう。前から言ってる通り頑張りたい人が頑張ればいいし、頑張ること自体をを押し付ける思想や人は嫌い。

ネットとテレビに蔓延る比較病

それを踏まえたうえで比較病の話をする。これマジで現代の癌だと思ってる。僕、私は現状で幸せです~っていう人間もネットとかテレビ見た瞬間に競争とか比較に巻き込まれるのでマジでやめたほうがいい。ただこういう被害にあう側の人間も悪いところはあって幸せ領域(趣味・思い出・友達・家族・場合によってはコミュニティ)に引きこもって幸福度を高めていけばいいのになぜか比較されやすい外の世界に出ようとするんだよな。

※幸せ領域とはそれをやっているだけで幸せなコトとかコミュニティ。趣味の音楽を聞いてるから幸せです、結婚や出産で家族ができて幸せです等。僕はクローズドな世界だと思っている。

そこらへんによく存在するプロフィールとか履歴書に書かれているような浅いことで比較してくるマウントザウルスには絶対にかまってはいけない。それより自分の幸せ領域で他人と比較不可能な幸せを築いたほうがいい。そういうのが実現可能なのが今のところ地方じゃないのって話。タイトルにローカルと書いたがこれは比較不可能な幸せを共有している場所とか集まりが存在可能ならどこでもいいような気もする。もちろんそれがネットとか都市圏でできるならそれでもいい。しかし、人が多く集まる場所には比較したい人間がうじゃうじゃいるので幸せ領域の維持が難しそうじゃないか?と仮定している。

でもお前東京に住んでるじゃん

あ、はい