田中はゆるく生きたい

科学で世界のすべてが説明出来ようとも哲学は無くならない

「自然主義入門/植原亮」を読んだ。この本は哲学における一つの分野のいわゆる自然主義の入門の本である。

自然主義

①哲学用語。自然を唯一の実在と考え,いっさいの現象を自然の産物であるとし,それを自然科学的に説明しようとする考え方。

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この本では自然主義を説明するために経験主義と生得説に対して大きくページが割かれている。

生得説

〘名〙 生得観念を認める学説。人の心には、感覚によらない、真理の認識や善悪の判断などに関する原理が、生まれつきわっているという考え方。生来(しょうらいせつ)。しょうとくせつ。

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経験主義

① 哲学で、あらゆる認識の源泉は経験にあり、経験的事実だけが真理の基準であると考える立場。経験論。⇔合理主義。〔国民百科新語辞典(1934)〕

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雑に例えると「めちゃくちゃサッカーがうまい選手がいて、その人間がサッカーがうまいのは元々の才能があったからなのか、努力をしたからなのか」という問題に似ている。元々の才能があった、と考えるのが生得説で努力したからと考えるのが経験主義である。

自然主義を突き詰めても哲学は無くならない

現在では生得説と経験主義がミックスされた二重プロセス理論もあるらしい。僕はどちらにしろ生得説、経験主義のどちらが正しいとしても、自然主義が正しいとしても哲学は無くならないと考える。

なぜなら自然主義で「水槽の脳」や「帰納懐疑論」が人間の認知の自然現象であったとしてもその可能性が減ったわけではない。加えてそういった問題を出していくのも自然主義・哲学にメリットは相当ある。そもそも問題を提起したり可能性を提起するのをやめた瞬間に、人類は愚かになる。

また、自然主義によって上述の懐疑論が成り立たなくなったとしても別の懐疑論が沸いて出てくると考える。それは決して自然主義・科学にとって悪いことではなく論理的に応答するべき壁でしかない。問題はその論理的応答をしないことや懐疑論が封殺される言論や社会が作られることである。

この主義主張を言うと、疑似的なフィクションやファンタジーのような想像を肯定するのかと問われると思うが、それ自体は悪ではなく社会や人間にとって善であれば良い、と考える。特定の宗教のように家族が破壊されたり、生活が成り立たなくなる想像やシステムは要らないが、人間や社会のどちらもメリットのあるものであれば許容できるだろうということだ。

空想的な「水槽の脳」は支持するかしないか自由にしても良いとは思うが、その思考実験自体が自然主義が乗り越えるべき壁なので学問としても社会にたいしてもメリットのある思考実験だと考えるのだ。