田中はゆるくいきたい

人間の理性すら疑う人間カント

「カント入門/石川文康」を読んだ。内容的にはかなり難解な部類だがカントの考えていたことを理解するのには役立つ著作だと思う。

当たり前に対する疑いの系譜

カントと並行してヒュームがそもそも当たり前と思われていた因果律の批判をしている。それに感化されて理性の批判をカントはするようになったのだと思われる。これらは「当たり前に対する疑い」になる。デカルトがあらゆるものを疑い、その結果として「われ思うゆえにわれあり」と気づくまでのプロセスにも通ずるものがある。

物事の究極的要因・原因は何か

カントがいたドイツでは幾何学的真理と同じように形而上学を説明できるか?が焦点になった時代がある。それに対してのカントの答えは幾何学的真理のように形而上学を考えることは限界があり、論理的完全性ではなく人間の究極目的を追求するのが哲学であるとする立場を取った。

真理らしいものへの批判

ルソーに感化され、空間や時間から解き放たれたカントはそれまでの考えをを「独断のまどろみ」とした。そこからのカントの主張は特筆するべきものがあり仮象批判を容赦なく展開していく。

ついに宗教への部分的批判へ

仮象批判の中に宗教も入っていたのだろう。宗教の歴史的な実例、人物、何も評価せず理性のうちのみを評価するカントにとってどの宗教も評価に値するものではなかった。ましてや「手段である儀式を目的化し、それを行えば真理にたどり着ける」といった流布は「手段と目的の転倒」として切り捨てている。