田中はゆるくいきたい

未来技術の描写に成功しただけでなく人間の愚かさを強烈に皮肉った攻殻機動隊

カルチャー

いつか見ようと思っていたアニメ版攻殻機動隊を見た。1期と2期にあたるSACとGIGは見たので劇場版をこれから見たいと思う、特にこの世界観と相性がいいと思われる押井守の攻殻機動隊は早く見たい。とりあえず劇場版以外を見た感想を書く。

あり得る未来、もはや存在している未来を描く

あり得なさそうであり得る未来を描くのがSFだと誰かは言っていたけれどこの作品は完全にそれに成功している。ここら辺に関しては原作の時点でこの世界を描いているんだろう。数年前のベストセラーに「ホモデウス」があるがこの人間至上主義みたいなことを発達した技術で表現すると「攻殻機動隊」になるんだろうなと思う。

攻殻機動隊では組織の行動やそれが利用されていく様、利害関係などを描くのがうまい。政治・経済の勉強あるいは仕事を経験したり、それに対する洞察力がないとできない代物だと思う。作品を通して、これって現実世界の政治でもあったよねっていうのが描写されている。現実でも起こっていること、それを未来の世界では発達した世界でどう実行されるのかをよく表現していると思う。

犯罪を取り締まるという立場上、銃や兵器を使った戦闘になることが多いがそこにも説得力を増す要素が多くある。例えば建物の中に潜入する際、クリアリングをしっかりするのだ。ヘリからの映像はわざとプレている、揺れている映像を視聴者に見させる。攻殻機動隊の各エピソードはハードボイルドでやりきれない結末が多い。でもそれはフィクションの「一件落着」「正義が勝った」という単純なエピソードを見せたくてこの作品を映像化しているわけじゃないことを示している。クリアリングや映像の揺れは映像の動きをリアルに追及して説得力を高めることによって「緊迫感のあるリアルなSFを描く」という目標を達成するための手段として機能している。

未来が変わっても人間の愚かさは変わらないのか

攻殻機動隊は世界観こそSFでいろいろな技術革新によって発達した世界が舞台だ。しかし、いくら発達した技術・システムがあっても結局人間がそれを使っている。これが何を意味するかと言うと、現実世界でもよくあることだがそれは技術自体に利権や利害が発生する可能性が大きいということだ。

2期の最後の場面。難民とともに革命を起こそうとするクゼのセリフは今の時代だからこそ一考に値する。この世界の作られたルールや上部の人間を批判しつつ、それより強調したのは人間の愚かさだった。

矛盾した秩序、強者による搾取、腐敗した構造、だがもっとも俺をがっかりさせたのは人々の無責任さだった。自分では何も生み出すことなく、なにも理解していないのに自分にとって都合のいい情報を見つけるといち早くそれを取り込み、踊らされてしまう集団。ネットというインフラを食い潰す、動機無き行為がどんな無責任な結果をもたらそうとも何の責任も感じない者たち。俺の革命とはそういった人間への復讐でもある。

論理能力が無くても匿名で言いたいことを言える偏見に満ちたSNS、次から次へとブームを量産するエンタメとそれを消化するコンシューマー、PVのために切り取られた情報を生産する制作者と聞き心地の良い情報ですべてを判断しようとする視聴者。そのようなインターネットの悲惨な様は数年前から予感されていたことなのかも知れない。