田中はゆるくいきたい

トー横界隈とか闇バイトについて思うこと

カルチャー

最近ニュースやSNSでトー横界隈や闇バイトなどについて報じられることが多くなった。当初は若い人も大変なんだなぁと呑気に感じていたものだが、よくよく考えるとその根本原因は自分が若いときに感じていたとことと少なからず共通する部分があるのではないかと思うようになった。そう思うと段々とトー横にしろ闇バイトにしろ、そういった現象の真っただ中にいる少年少女が他人事には思えなくなっていたのだ。

親と子供の価値観が合わない

まずは僕はトー横界隈・闇バイトをやっている年代がかなり低いことに関心があった。このような現象の主役は少年少女が主体であり、親も原因の一つなのではないか、そう感じるに至った。

家庭の事情にもよるかもしれないが、平均的な親と子供というのは20歳以上の歳の差があると思われる。20年という年月は短いようで長い。例えば、この記事を執筆している2023年から20年以上前というのは2003年頃であり、その頃は地上デジタル放送が始まったりipodが流行ったりした年である。

そう考えると15~20である少年少女とその親の年齢が35~40だとすると価値観が合うはずがないと考えるのが当然ではないだろうか。価値観が合わない親と子供がどうやってお金を稼ぎ、どうやって使うかなど意見が合う訳もない。ひいては人生の生き方など全くもって違うのだ。

大人になった僕はそういった感情を言語化できるが、その年頃の少年少女はよほどの言語化能力が無い限り無理だ。十中八九、うまく助けてもらうことが出来ずモヤモヤを抱えながら生きていく。やがて一番近くの大人である親や先生に相談しても無駄だと感じるのだ。

やがては自分を非難するしょうもない大人たちから離れるべく自立を試みる。そうして自立をしようとばかり気持ちがはやり闇バイトなどに手を染めるのかもしれないと仮説を立てた。

弱い立場の人間が助けてくれと言えない社会

親や先生などの大人たちから時代遅れの普通や常識を押し付けられた弱い若年層は誰に助けを求めればいいのだろうか。確かに運がいい人間やスキルを所有して自分で立ち上がれる人間は勝手に親離れをできるのかもしれない。しかし、そういったスキルが無い人間はどう生きていけばいいのか。

そういうことを考えていると最近の映画の「そばかすの姫」を思い出した。主人公の女の子は勇気を出して仮想世界において歌で夢を叶えた。しかし、その一方で親に虐待され生きてきた少年はどうだろう?

そういった人間たちにとって仮想世界(ネット)は現実世界の鬱憤や不満の吐け口にしかならない。うまく仮想世界で自分を表現できたポジティブな主人公とネガティブで親に虐待されている少年のストーリーは対比的だが現代でもあり得る。少年は作中でこう言い放つ。

「助ける助ける助ける、ってもううんざりなんだよ」

スキルがあったり一芸があると有名になって居場所ができる。しかし逆にそれらを持たざる者は生きていけないのだろうか。親がそういったスキルや教育が出来ず、そのもとで育てられた子供はどう生きていくべきだというのか。持たざる者が苦しむのは自業自得・自己責任の世界なのだろうか。

トー横や闇バイトを一時的な若気の至りと一笑に付す前に、僕はそろそろこの問題について真剣に考えるべきだと世の中の大人たちに提案する。