田中はゆるくいきたい

今を生きることを肯定するアドラー

僕はアドラーの名前を聞いたことはあるのだが本を読んだことはなかった。今回紹介する「嫌われる勇気」という本は哲学の本を中心に読んでいた僕にとって、論理の積み重ねで結果が得られているのだと凝り固まっていたのかもしれないと感じているほどに面白かった。特に人間が考える原因と結果は逆なのではないかという問題提起をしており、なるほどなと思った。

結果が得られたのは原因のせいではない

アドラーは原因ですべてを説明できるとは思わなかったようだ。特に人の行動についてはそう感じたようで、本当にその理由で結果が得られているのか吟味する。例を出すと”ある引きこもりの人が外が不安だから外出するのができない”というがそれは”外に出たくないから不安と言う感情を作り出しているのではないか“と考察する。

もう一つ例を出してみる。”小説家を夢見る男がいた。しかし、仕事が忙しいという理由からその男は小説を書いていない。”。これに対して”この男は5年,10年もすれば子育てに忙しいと言って別の言い訳をする。やればできるという言い訳を残したいだけだ。“とした。

これフロイト的な原因論とは真逆を行く考えだが、確かに自分がしたいことができない理由を口から出まかせに言うのは人間の習性としてあり得そうだ。これは心理学における自己の行動を正当化する「合理化」に近いのではないかと思われるが、”原因と結果が逆だ”と看破したのはかなり切れ味鋭い論だと感じた。

現状を変えるのは自分である

アドラー心理学は他者を変える心理学ではなく、自分を変える心理学だと言われている。それはなぜか。このアドラーの言っていることは他者の評価は変えられないが自分に対する自分の評価は変えることができるとした。そもそも他者の評価が気になっている時点で自分の価値について疑問を持っている、ということであるのは明白だ。本当に自分には価値があると思っている人間は他者の評価など気にしないのではないかとそこまで言っている。

“夢中になることがあるのであれば死は不幸ではない”。この本において最も意味があり前向きな考え方がこの言葉である。人生とは連続する刹那であり、それ自体が目的である。目的地に行くことが目的なのではなく生きること自体が目的で、それに夢中になれている時点で幸せなことなのではないかと提案する。

他人は変えられない、失敗するのが嫌だから言い訳を探している、などネガティブでぐさりと来る言葉がられるしている本書ではあるが最終的な結論は自分が生きることに夢中になることができたならそれでいい、というところに着地しているのは素晴らしいと感じる。